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栃窪山の神社は、御殿場高原時時の栖端の小高い丘にあります。王宮の丘噴水レザーショー入口の先です。
地元の人には、山の神さんの愛称で親しまれています。
例祭を行う氏子は、3つのグループに分かれており持ち回りで執り行っています。そして今年例祭の当番
が回ってきました。うちのグループは、各戸持ち廻りで総代となり例祭を行っています。
口伝えで例祭のやり方等が伝承されてきているので、例祭を3つのグループで持ち回りになったらのかも
定かではありません。近年記録媒体の発達により画像等で記録を残すことが可能となりましたが、
まだまだ分からないことが多いですが、現在のやり方で例祭を執り行うしかありません。
神社の由来
正徳二年四月(1712年)に氏子8名により栃窪山に建立されました。本殿は上げやの奥殿に鎮座しています。
当時9月17日を例祭日と定められていたようですが、いつの日か1月17日に改められたようです。子供の
頃には、祝日に関係なく改めらた例祭日で行われていましたが、時代の経過とともにに1月17日前の
祝日(土or日)に変わり現在に至ります。
神社が祀られている土地は、共有地となっており土地共有者と地縁者が管理・例祭等を行っている。
戦前に旧栃窪地区に酪農試験場の開設の話が持ち上がり、住民は現在の栃窪地区に移転した。神社はそのままと
なり、栃窪の名前だけが残った。
神社関連の持ち回り資料から移転前の地図が出てきた。赤丸が現神社が祀られている場所。そして栃窪と
いう地名が確認できる。
見つかった地図から判断するとたぶん桜並木(冬はイルミネーションのトンネル)の西側に住んでいたのではないと
思われる。移転していなかったらどういう生活をしていたのだろうか?移転して100年は経っていないが歴史を
感じるものがある。
2024/01/14
3年に一度例祭の当番が回ってきます。今年は当番組にあたります。
最近は、簡単に記録できるようになり構成に残せるようになりました。それでも分からないことが
多いです。以降困らないように記録して構成に残し時代にあった例祭を行っていきたいと思います。
神前のお供え元等の準備は、記録が残っているのでそれなりにスムーズに用意ができました。
神社前ののぼり旗を揚げるのに毎回苦労します。今回は、ロープが劣化で使い物にならなったため急遽購入する
ことになりましたが、無事あげることができました。次回は、清掃時ロープの状態も確認しないと。。
鳥居をくぐりすぐ右側に2本の木が参道脇にあります。
根本を見ると根がくっついていて2本の木の根のようになっています。
縁結びにご利益がないかな?
時の栖に訪れたさいは、この木を見にきてください。
ご利益がありますように!